
鼎斎卍夫と号する人物は藤原充雄という方で、文政年間前後にこの岩淵の地で学生たちに学問を教えていました。彼は生方鼎齋に師事したのち、旅を重ねて岩淵に辿り着いた時、町人に請われ16年に亘って学問の指導に当たったのです。
筆塚には下記のように記されています。
表書
往我至巖淵村人使我為
児童師十六年於今矣石
渡臼倉佐野小田切水野
等子弟皆及門子弟相謀
請立壽藏因請書於江山
先生又自記立之年月之
實文政七年〇在甲申春
一月也 藤原充雄 記
我れ往きて巖淵に至る。村人、我をして児童の為に師として十六年、今になる。石渡、臼倉、佐野、小田切、水野等、子弟は皆、及び門子弟、相い謀り江山に請書に因りて壽藏を請立す。
先生 又た自ら記して之れを立つ
年月の實ること 文政七年 歳は甲申、春一月に在る也 藤原充雄 記
裏書
鼎譽雄山義英居士
英譽負節妙善大姉
文政六年未正月十日
羽州米澤掘金之産
寒河江文四郎充雄
武州足立郡八王子
東覺院寛荒道士四女 〇
鼎譽雄山義英居士
英譽負節妙善大姉
文政六年未正月十日
(充雄は)羽州は米澤、堀金の産まれ。
寒河江文四郎充雄
(妻は)武州足立郡八王子(の産まれ)、東覺院寛荒道士の四女なり。
弟子の名前として記載されている苗字は、この地を治めていた豪族の氏、さらには現在の岩淵の町を守っている方々と同じです。師の教えによって今の岩淵の町があるといっても過言ではありません。
今もなお、正光寺では智慧の神様、学問の神様として大切にお祀りしています。
仏教では、三学を大切にしています。これは修行者が修すべき最も基本的な修行の一つで、戒学・定学・慧学の三つをいいます。
戒学は、悪を止め、善を修し、戒律を守って規律ある生活を保つことです。
定学は、禅定を修して心の散乱を鎮め、心を落ち着かせることです。
慧学は、その戒学と定学に基づいて真理を知見し、智慧を獲得することです。
学問を志す方におかれましては是非、規則正しい生活、心を落ち着かせること、それらによって高い集中力を維持し、智慧の獲得に向け自己の研鑽を積んでいただければ幸いです。
最後はご自身の大願成就のため、どうぞねんごろにお参りして内観し、念仏を称えていただきますよう。そうすればきっと願いは叶う事でしょう。
