称号十念
正光寺の写経会は書道教室ではないので、字をうまく書くことを目的としていません。写経を通じて日々の生活を穏やかに豊かにするために必要なものごとの本質を再確認するための内観(内省)を目的としており、さらには念仏を称えることをもって最期に敬愛すべき先人たちと同じ極楽浄土へお迎え頂くことを目的としています。
11月の写経会は10人ちょっとの参加者がお見えになり、いつも通り主体的に内省をされていました。ベテランの方々の落ち着いた振る舞いが新参の方の見本となってとても良い雰囲気で行われています。継続することの大切さはそういった事にも表れるのだと思いました。いつも通り、参加した方々と共に内観(内省)をして念仏を称えました。
前回の写経会では、大切な人の事をどのように認識しているのかということを「生死一如」という要語を通じて再確認をいたしました。時代の進歩によって過去の偉人たちを生成AIで再現することが可能になりつつあります。でも私たちにとって大切な人を生成AIで再現する必要はありません。なぜならば、生成AIの力を借りなくても自分自身で大切な人の事を記憶から再現することができるからです。もちろん、会ったことのない偉人たちの生成AIによる再現は、とても興味深い活動であると考えています。
さて。
今月12月は江戸時代の名僧、沢庵宗彭の言葉を取り上げて大切な事を再確認していきましょう。
願くは勝つことを悦ばず、負くることを怒らぬ心になりて、
夢の勝負を勤めずして、勝ちも負けもせぬ人たらんは如何ぞや。
できることなら、勝つことで有頂天になったり、
負けて怒り狂ったりといった、浮世の勝負ごとにかかずらわることなく、
勝ち負けを超越した人を目指すのはどうであろうか。
私たち凡夫が生きていく上で勝つことの喜び、負ける事の悔しさというのは、必ずしも悪いことではありません。それが自らの未来への道を開く原動力になる場合があるからです。
スポーツの世界では、勝者の喜び、敗者の美しさ、それらに私たちは心を奪われ勇気をもらうことができます。
これらは勝敗が適切に機能している場合です。しかし、あまりに勝敗に執着しすぎるとどうなるか。不正を行う。自分より実力のある者を妬み僻む。負けて自暴自棄になる。敗者を見下す。勝者から敗者へと転落することに恐怖する。ロクなことはありません。
日常生活においては、「勝ち組負け組」という言葉に象徴されるように、陳腐な他者との比較による優越行為に成り下がってしまっている状況があちらこちらで見られます。
勝ち負けが名誉の競い合い、見栄の張り合いといった類のものである限り、百害あって一利なしです。
勝ちに悦ばず 負けに怒らず
心平穏であることが 眞の勝者
アンガーマネージメントという言葉は割りよく聞きます。怒りの感情をコントロールせよということです。でも、コントロールしなければならないのは怒りの感情ばかりでなく、喜怒哀楽すべての感情をであり、喜怒哀楽をコントロールすることによって心の平穏を保つこと、いわゆる寂静の状態を保つことなのです。また、感情を「押さえること」ではなく、「コントロールすること」が重要であるという点にも注目すべきです。
私たちの人生には「勝」も「負」も一緒くたにやってきます。どちらであっても「眞の勝者」として生き続けることがとても重要であります。今回再確認したことを「盛者必衰」という言葉に託し、前向きに行動し続けることを心掛けて一カ月間過ごそうではありませんか。そのことが、これからの人生をさらに少しずつ豊かなものにしていくに違いありません。
以上のような決意をこめて、写経の願文には
「盛者必衰」
と書いて心静かに内省し、念仏をお称えいたしましょう。
南無阿弥陀仏