称号十念
正光寺の写経会は書道教室ではないので、字をうまく書くことを目的としていません。写経を通じて日々の生活を穏やかに豊かにするために必要なものごとの本質を再確認するための内省を目的としており、さらには念仏を称えることをもって最期に敬愛すべき先人たちと同じ極楽浄土へお迎え頂くことを目的としています。
7月の写経会では私が体調を崩してしまい、皆様とお会いすることが叶わずに残念なことになってしまいました。また、エアコンの不具合により随分と大変な環境で筆を走らせることになったのではないかと推察しております。それでも自身と向き合われたことは大変尊いことです。
8月の写経会は引き続きエアコンの不具合により中止とさせていただきました。今回の写経会は2カ月ぶりとなります。
さて。
今月9月は「嘘」ということについて再確認しましょう。
原始経典のひとつである『スッタニパータ』の中に次のような言葉があります。
かくし事をする人を 卑しい人と知れ。
「かくし事」は、「嘘をついたりすること」と解釈されています。
では、「嘘をつく人を卑しい人」としてしまうとどうでしょうか。私たちは「嘘をつかない」と言った時点で嘘をついたことになってしまいます。だからといって思った事や考えた事を嘘偽りなく言葉にしたらどうなるでしょうか。とても人間関係が保てるとは考えられません。
それでも「嘘をつく人を卑しい人」としているのはなぜでしょうか。他人に迷惑をかけるから?それでは他人に迷惑をかけなければ嘘や隠し事をしてもよいのでしょうか?
私にはわかりません。ここで大切な事はいったい何でしょうか。
それは嘘をつくとかつかないとかを超えて、自分にも相手にも誠実であるかどうかに尽きるのです。
このことはあらゆる哲人たちが様々な表現をつかって私たちに伝えてくれています。にも拘らず、私たちは、誠実であり続けることの困難さに毎日苦悩しています。
つい先日も、私はうっかり余計なことを言ってしまったばかりです。頭では分かっていても行動し続けることのなんと難しいことか。
いかがでしょうか。今日から一カ月、まずは自分と周りにいる人に対して誠実で居られるように心がけてみようではありませんか。そのように心掛けて行動し続けることが、これからの人生を少しずつ豊かなものにしていくに違いありません。
どうぞそのような決意をこめて、写経の願文には
「至誠心」
と書いて心静かに内省し、真の心をもって念仏をお称えいたしましょう。
南無阿弥陀仏