お知らせ

住職より~4月の写経会を終えて

称号十念

4月の写経会を無事厳修いたしました。

正光寺の写経会は書道教室ではないので、字をうまく書くことを目的としていません。日々の生活を穏やかに豊かにするために必要なものごとの本質を再確認するための内省を目的としており、さらには念仏を称えることをもって最期に敬愛すべき先人たちと同じ極楽浄土へお迎え頂くことを目的としています。

前回は、「雑毒之善」の大切さを皆で再確認しました。心から大切だと思ったことを実行できているか。その行動は本当に嘘偽りのない思いで実行しているか。不完全な人間、凡夫である私たちが、自らの善に従って一生懸命生きていくことの難しさをふまえ、心と行動の一致を目指して、1か月過ごすことを目標としました。

さて。

今月4月は「極楽浄土」が西の遥か彼方に必ずあるということの大切さを再確認しました。

極楽浄土は、私たちが死んだら念仏を称えていることを条件として往くことができるところで、西の遥か彼方に“必ず”あります。

しかし、だからといって西に向かってひたすら歩いたところで、地球は丸いですから最後は元居た場所に戻ってきてしまいます。

では、ひたすら西に歩いても行くことができないが、それでも西の彼方にあるとされる極楽浄土はどこにあるのでしょうか。

私たちは、視覚によって世界を認識していますが、それが正しい認識であるかとうことは保障されません。なぜならば認識していないものを見ることができないからです。

内省活動を通じて、物事を正しく認識することを続けていれば、やがて必ず極楽浄土が西の彼方にあるのを観る事ができるようになります。

正しく極楽浄土があるのを観ることができるようになるとどうなるか。それは山登りをするのとほぼ同じ感覚になります。

この山道を一生懸命歩いて行けば、きっと素敵な風景が開ける。そのために今は大変だけと一生懸命歩みを進めていきます。素敵な場所、素敵な風景があると確信しているからこそ頑張れるのです。

同様に、最期は極楽浄土に往くことできると確信できているからこそ、日々を一生懸命生きていくことができるのです。

極楽浄土があると観ぜられるように、物事の本質に目を凝らして今月も一生懸命生きていきましょう。

今月の写経会では、改めて、不完全(凡夫)である私たちが「極楽浄土」の有難さを再確認するとともに、参加された方々が次の写経会まで穏やかな生活ができるようにご祈念しながら、共にお念仏をお称えしつつ写経会を無事にお勤めさせていただきました。

合掌