令和6年 正光寺 盆供養

2024年7月16日

 あるとき、お釈迦様の弟子のひとりである目連は、先に亡くなった母の生まれ変わった世界がどこであるか気になり、神通力を使って探すことにしました。すると驚いたことに母は餓鬼道に堕ちて苦しんでいることを目の当たりにしたのです。母を助けたい一心でお釈迦さまに助けを求めると、お釈迦さまは夏安居(げあんご)という修行を終えた修行者たちに供養をすることを目連に説きます。言われたとおりにした目連は、無事に母を救うことができたのです。盆供養はこのような教説が基になっています。

 この教説の見方の一つに「感謝の心」があると私は考えています。育ててくれた母への感謝とその恩に報いたいという想い、母を救う方法を示してくれたお釈迦さまに対する感謝、修行を積んで道を示そうとしてくれている修行僧に対する感謝。
 目連の活躍によって彼の母親は極楽浄土に生まれ変わったと私は解釈しています。彼の母親もちろん、私たちの大切な先人たちは極楽浄土で私たちのことを見守ってくれています。
 そしてお盆になると様子を見にやってくる。なぜ様子を見に来るのか。それは小言を言いに来るのです。小言の内容は、当たり前での事、誰でも知っている事、正しい事、にも拘らず言われた本人ができていない事です。私たちはお盆にご先祖様をお迎えし、有難くお小言を頂戴して内省し、これからの毎日をより正しく一生懸命過ごす努力をし続けるのです。そうやって一生懸命生き抜いた最期には極楽浄土にお迎え頂きます。
 ですから、お盆ではご先祖様に感謝をするために、これらからの人生を一生懸命生きていく決意をするために、最期に極楽浄土へお迎え頂くために、念仏をお称えするのです。

 今年もたくさんの方が本堂やお墓で一緒にお念仏をお称えしました。また来年会えるのを楽しみに、一年間しっかりと過ごしてまいりましょう。

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令和6年 正光寺 盆供養

2024年7月16日

 あるとき、お釈迦様の弟子のひとりである目連は、先に亡くなった母の生まれ変わった世界がどこであるか気になり、神通力を使って探すことにしました。すると驚いたことに母は餓鬼道に堕ちて苦しんでいることを目の当たりにしたのです。母を助けたい一心でお釈迦さまに助けを求めると、お釈迦さまは夏安居(げあんご)という修行を終えた修行者たちに供養をすることを目連に説きます。言われたとおりにした目連は、無事に母を救うことができたのです。盆供養はこのような教説が基になっています。

 この教説の見方の一つに「感謝の心」があると私は考えています。育ててくれた母への感謝とその恩に報いたいという想い、母を救う方法を示してくれたお釈迦さまに対する感謝、修行を積んで道を示そうとしてくれている修行僧に対する感謝。
 目連の活躍によって彼の母親は極楽浄土に生まれ変わったと私は解釈しています。彼の母親もちろん、私たちの大切な先人たちは極楽浄土で私たちのことを見守ってくれています。
 そしてお盆になると様子を見にやってくる。なぜ様子を見に来るのか。それは小言を言いに来るのです。小言の内容は、当たり前での事、誰でも知っている事、正しい事、にも拘らず言われた本人ができていない事です。私たちはお盆にご先祖様をお迎えし、有難くお小言を頂戴して内省し、これからの毎日をより正しく一生懸命過ごす努力をし続けるのです。そうやって一生懸命生き抜いた最期には極楽浄土にお迎え頂きます。
 ですから、お盆ではご先祖様に感謝をするために、これらからの人生を一生懸命生きていく決意をするために、最期に極楽浄土へお迎え頂くために、念仏をお称えするのです。

 今年もたくさんの方が本堂やお墓で一緒にお念仏をお称えしました。また来年会えるのを楽しみに、一年間しっかりと過ごしてまいりましょう。