赤羽セミナー&無料個別相談会のご報告

2023年11月21日
先月21日、「第9回 赤羽セミナー&無料個別相談会」(東京都北区後援)が赤羽会館にて開催されました。
これは「地域の困りごとを、地域で解決しよう」というコンセプトのもと、ゆりかごから墓場まで人が生きていく上で起こりうる課題について、専門家の話を聞くほか、個別相談を受けられる地域イベントです。正光寺は、お墓に関わること・困りごとに応える担当として開催当初より参加しています。

当日、お話させていただいた内容を一部こちらでも紹介させていただきます。

さて、かねてよりお墓は先祖を供養するための拠り所のひとつとして昔から大切にされてきました。一昔前までは家を中心にお墓は継承され守られてきましたが、昨今は核家族化や少子化が進み、家としてお墓を維持すことが困難になったということが、多くの人の共通課題として認識されています。

お墓について悩みを抱える人たちの課題は大きく分けて、

・後継者がいないのでお墓をどうしたらよいか分からない
・後継者はいるがお墓に関わる負担をかけたくない

という2つになります。そして、こういった方々の多くは「永代供養墓」の選択を検討しています。

ここで言う永代供養墓とは、➀後継者を必要としない、②管理費を必要としない、の両方を満たすお墓のことです。人によっては③未来永劫供養してもらえる、ということを想定している方もいます。

赤羽セミナーでは、後継者にお墓の継承を任せるのが困難な時代、管理費という経済的な負担を極力避けたい時代、このような時代に永代供養墓に求めるべき宗教的価値についてお話をしました。

それは「遺された人にとっての守り本尊としての機能」です。
自身の死後にそのお墓参りをするかどうか、する人がいるかどうかについて、自分でその如何を決めるけることは適切ではありません。喧嘩ばかりした後継者が親のお墓参りをしないとは限らないからです。後継者がいなかったとしても、忘れていた昔に世話してあげた人がわざわざお参りに来ることもあるからです。

自分自身をどう評価しようとも、手を合わせに来る人にとってその人は尊い存在であり、死してもなお向き合いたい存在なのです。そういう人たちのために亡くなった人は向き合う対象、つまり守り本尊としての役目を果たすべきだと私は考えています。
その役目は未来永劫続くわけではありません。せいぜい30年もあれば十分です。なぜなら、その人を直接知る人もやがては亡くなってお浄土に往くので、守り本尊を必要としなくなるからです。住む人がいなくなった家が朽ちやすいように、祈る人がいなくなったお墓も朽ちてしまいます。

未来永劫お墓を残しておきたいのであれば祈る人、つまり墓守をしてくれる後継者をつなげ続けなければなりません。後継者に墓守をさせないことを条件としている永代供養墓ではそれはできませんし、そもそもする必要はないのです。
この世で一生懸命生きる。お浄土に往ったらしばらくは娑婆の守り本尊としての役目を兼任する。その役目が終わったらお浄土での生活を一生懸命楽しむ。亡くなったらお墓は必要ですが、未来永劫お墓に執着する必要はないのです。

以上の理由から、正光寺の永代供養墓は未来永劫供養しますとは言いません。もしこのような考えに賛同されるのであれば、喜んでお力になりますのでどうぞご相談くださいませ。

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赤羽セミナー&無料個別相談会のご報告

2023年11月21日
先月21日、「第9回 赤羽セミナー&無料個別相談会」(東京都北区後援)が赤羽会館にて開催されました。
これは「地域の困りごとを、地域で解決しよう」というコンセプトのもと、ゆりかごから墓場まで人が生きていく上で起こりうる課題について、専門家の話を聞くほか、個別相談を受けられる地域イベントです。正光寺は、お墓に関わること・困りごとに応える担当として開催当初より参加しています。

当日、お話させていただいた内容を一部こちらでも紹介させていただきます。

さて、かねてよりお墓は先祖を供養するための拠り所のひとつとして昔から大切にされてきました。一昔前までは家を中心にお墓は継承され守られてきましたが、昨今は核家族化や少子化が進み、家としてお墓を維持すことが困難になったということが、多くの人の共通課題として認識されています。

お墓について悩みを抱える人たちの課題は大きく分けて、

・後継者がいないのでお墓をどうしたらよいか分からない
・後継者はいるがお墓に関わる負担をかけたくない

という2つになります。そして、こういった方々の多くは「永代供養墓」の選択を検討しています。

ここで言う永代供養墓とは、➀後継者を必要としない、②管理費を必要としない、の両方を満たすお墓のことです。人によっては③未来永劫供養してもらえる、ということを想定している方もいます。

赤羽セミナーでは、後継者にお墓の継承を任せるのが困難な時代、管理費という経済的な負担を極力避けたい時代、このような時代に永代供養墓に求めるべき宗教的価値についてお話をしました。

それは「遺された人にとっての守り本尊としての機能」です。
自身の死後にそのお墓参りをするかどうか、する人がいるかどうかについて、自分でその如何を決めるけることは適切ではありません。喧嘩ばかりした後継者が親のお墓参りをしないとは限らないからです。後継者がいなかったとしても、忘れていた昔に世話してあげた人がわざわざお参りに来ることもあるからです。

自分自身をどう評価しようとも、手を合わせに来る人にとってその人は尊い存在であり、死してもなお向き合いたい存在なのです。そういう人たちのために亡くなった人は向き合う対象、つまり守り本尊としての役目を果たすべきだと私は考えています。
その役目は未来永劫続くわけではありません。せいぜい30年もあれば十分です。なぜなら、その人を直接知る人もやがては亡くなってお浄土に往くので、守り本尊を必要としなくなるからです。住む人がいなくなった家が朽ちやすいように、祈る人がいなくなったお墓も朽ちてしまいます。

未来永劫お墓を残しておきたいのであれば祈る人、つまり墓守をしてくれる後継者をつなげ続けなければなりません。後継者に墓守をさせないことを条件としている永代供養墓ではそれはできませんし、そもそもする必要はないのです。
この世で一生懸命生きる。お浄土に往ったらしばらくは娑婆の守り本尊としての役目を兼任する。その役目が終わったらお浄土での生活を一生懸命楽しむ。亡くなったらお墓は必要ですが、未来永劫お墓に執着する必要はないのです。

以上の理由から、正光寺の永代供養墓は未来永劫供養しますとは言いません。もしこのような考えに賛同されるのであれば、喜んでお力になりますのでどうぞご相談くださいませ。